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2006年5月13日 (土)

轍の続き

大学1年の春。偶然誘われて覗いたあるサークルの新入生歓迎コンパの2次会で先輩の部屋を訪れると、部屋の壁にはボロボロに傷ついた1台の自転車が掛かっていた。

将来教師を目指していること。子供に世界の広さ・多様さを伝えてあげられる教師になりたいこと。そのために世界1周の自転車旅行に出て先日やっと帰国したこと。世界を旅して経験した素晴らしい出会い・風景・・・熱く語ってくれたあの日のことは今でも鮮明に覚えている。

それから1年後の春、自転車を抱えてひとりで旅立ったトルコ。霧雨の降る長い長い峠道を凍えながらペダルを踏み、峠を越えた瞬間広がった風景が忘れられない。ゆっくりと流れる雲、緑の平原、羊の群れ、遠くにそびえる雪の山々・・・。

翌年の春に訪れたインド。喫茶店でお茶を飲み談笑する人のすぐ傍にころがる乞食の死体。自転車をとめると群がる乞食の子供。「1ルピー、1ペン、プリーズ!プリーズ!!」。旅をする国の生活とのギャップ。旅することで世界を見ることはできるかもしれないが、理解することにはならない、と感じた旅。

たった直径数センチの轍が刻んだ数千キロの旅。

そして今、なぜか中国という国であの轍の続きを刻み始めている気がしていた。あれから10年以上経つというのに。

今朝は早起きして、日本で購入した本を読んだ。坂本達著『やった。』。4年3ヶ月をかけて自転車で世界一周した紀行文。200ページを一気に読みきる。

彼の出会った人・風景のひとつひとつが、10年前の自分の旅と重なり、涙がとまらない。

フラフラになりながら峠道の途中で立ち寄った小さな村の食堂。注文もしていないのに出された食事。周りを見渡すと、一番奥の席に座った老人がニコリとだけ微笑む。「旅人さん、どうぞお食べ。遠慮しなくていいから」。

10年経った今、鮮明に思い出されるのは、美しい風景ではなく、通りすがりの旅人に何の思惑もなく、優しさとプライドを持って包み込んでくれば人たちの思い出ばかり。

これから刻むことになる中国の轍の途中でも同じような出会いがあるのだろう。

なぜか昨夜の通訳のKくんの悔し涙を思い出した。理由のない通訳への差別的な取扱いが悔しいと打ち明けるKくん。「僕はお金が欲しいのではないんです、頑張った分だけ報われたい、認められたい。それだけなんです。」その思いに応えられない自分への悔しさと国籍を超えてその思いを伝えてくれたKくんへのうれしさが混じり合って僕も涙が出た。

通り過ぎるだけの旅でなく、その地に根を下ろし、彼らの思いを感じ、一緒に悩む。新しい轍はそんな思い出を刻めそうです。

Book2

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